突然だが、読者のみなさんは学校が好きだったろうか? 筆者は大嫌いであった。同級生にはイジメられるし、授業は全然面白くないし、先生は誰一人として尊敬できなかったからだ。そんな背景もあって、今回の取材対象には行く前から非常に興味と期待を抱いていた。大分県別府市上田の湯町にあるNPO法人「みんなの教室」である。取材陣が現地に到着すると、広大な面積を持つ圧倒的な建物がそびえていた。その一画に居を構えるのが同法人である。 教室内に入ると、ひとりの児童がゲームに熱中していた。そこから少し離れた場所でインタビューを行ったのだが、ほとんど下調べもせずに思いついたまま飛び出る筆者の質問に快く丁寧に答えてくださったのが代表の髙部春菜氏である。 「みんなの教室」はいわゆるフリースクールだ。しかし、話を聴いていくと同法人が非常にユニークな教育方針を持っていることが分かった。まず、この教室では一般的な学校で行われる授業や課題は存在しない。子どもたちが自分の楽しみを心ゆくまで楽しむことを無制限に許可している。 例えばそれは、お絵かきやゲームやTIKTOKといった、普通の大人が見れば遊んで怠けているとしか思えない、「他の子が学校に行って勉強を頑張っているのに、何をしているんだ!」と叱責したくなるような内容だ。しかし、髙部氏は子どもたちの自発的な遊びに意味を見出し、言語化するのが職員の仕事なのだという。子どもの一見無意味に感じられる遊びにも必ず何らかの学びがあり、それを自分で自覚し考えることが難しい子どもたちの手伝いをするのだ、と。 ただ実際にゲームばかりしている子どもがいたとして、一般的な親が見たら心配になるはずだ。「こんなくだらないことに時間を費やして、この子の将来は一体どうなるのだろう……」そんな声が聞こえてきそうである。しかし、有名どころだと「マインクラフト」というゲームが海外では授業に取り入れられている事例があるように、それは大人たちが考えるほど単純で幼稚なものではない。論理的思考、プログラミングのセンス、創造性など、プレイヤーのあらゆる能力を試し、持続的に高めるという側面があるのだ。 みんなの教室ではそのように「学び」というものを再定義し大人の側が理解に努めることで、子どもたちの眠っている才能や興味を引き出そうと尽力している。そしてそれはやがて「任天堂に入りたい」「自分でゲームを作ってみたい」といった具体的な目標につながり、夢を見つけられるケースもあるのだとか(冒頭に登場したゲームに熱中する児童はYouTubeの編集がとんでもなく上手らしい、ぜひ筆者にレクチャーしていただきたい)。 では、こうした斬新かつ深い人間理解で教育に取り組むフリースクールを作った代表の髙部氏とは、どんな人物なのだろうか? 彼女は大学で小学校教諭の免許を取り、全日制の小学校で教鞭をとるところからキャリアをスタートした。それから熱心に教育に取り組み、児童からの信望も厚かったのだが、やがて理想と現実のギャップに悩むようになる。 まず、全日制のいわゆる「普通」の小学校では、児童との関わりに限界があった。毎日の授業が終わった後、問題を抱える児童には放課後の時間を使って個別的に対面する必要があるのだが、校風自体がそれを良しとしなかった。「児童と関わるのはあくまで勤務時間内で」というわけだ。 また、全日制の学校ではルールや規則が絶対的な原則であり、せっかく良好な関係が築けても年に1回のクラス替えがある。その都度の担任によって指導方針が異なるため、児童たちはやっと適応した環境からもう一度別の環境になじむというストレスを抱えることになる。そのため、一人の児童と徹底的に向き合い問題を共に解決することは、そもそも根本の構造から無理があったのだ。 読者の方にはここで留意していただきたいのだが、髙部氏も筆者も決して全日制の先生がやる気がないのだとか教育に不真面目だとか、上から目線で批判したいわけではない。ご存じの方も多いと思うが、全日制で勤める先生たちの多くは大変過酷な業務に日々追われており、そのスケジュールはほぼ分刻みとさえ言われる。実際髙部氏も、同校で勤務しているころはトイレに行く時間すらとれず、落ち着いてからやっと「そういえば行っていなかった」と思い出すほどであったそうだ。この点を踏まえた上で、髙部氏の感じた限界を想像してほしい。一方で彼女は、学生時代に留学した先でボランティアをしていたアートスクールのことも語ってくれた。そこではたくさんの児童が毎日絵を描いて飽きたら外で運動を楽しんでおり、「詰め込み式」と揶揄されるドリルなどの課題は一切存在しなかった。児童たちはみなのびのびと学校生活を楽しんでおり、不適応や問題行動を起こす子どもも、日本の現場で実感する数よりはるかに少なかったようだ。また、彼女の一般教員としてのキャリアの後半を占める「特認校」での経験も大きな影響を与えた。その学校はどこから通学してもよく、自然体験で児童の感性を豊かにすることを重視する場所だった。人数も少なく、1学年1クラスで10人ほどだったという。そんなお互いに親しみを持てる関係性の中で、先生の基本的に自由な裁量のもと、子どもたちは自由に運動会のルールを作るなど自発的な行動が許されていた。嫌な黒板係なども、児童たちの発想で工夫し楽しむという光景がそこにはあったという。上記の経験をふまえ、髙部氏自身の手で子どもたちの居場所を作りたいという強い想いと「全ての子どもを幸せに」という理念のもとに2020年の6月に設立されたのがNPO法人みんなの教室なのだ。このフリースクールではとにかくこの「幸せ」という言葉を大切にしている。その内容が人それぞれなのはもちろんのこと、筆者が興味深いと思ったのは髙部氏の「幸せ」の解釈である。「幸せって、そう感じられること自体が幸せなんですよ」笑顔でそう話す彼女に詳しく訊くと、例えば美味しいものを食べても心に余裕がなくて沈んでいては幸せだとは感じられない。また、クラスの中にいても「悪口を言われているんじゃ?」という疑念があったなら、そこは安心できない辛い場所になってしまうだろう。一方でみんなの教室では、「そこにいるだけであなたは価値がある」というメッセージを周囲の大人たちが絶えず発信し伝えることで、子どもたちに幸せを感じられる心を取り戻す手伝いをしている。ここで、筆者は独身なのであまり偉そうなことは言えないのだが、もしも自分が親だったらと想像してみる――自分の子どもがテストで良い点数を取った時にだけ、「あなたは価値がある」と言ったとしたら? 運動会で1位になった時も同様だ。何か特別なことを成し遂げた時にだけ両親から褒められ、普段からこのメッセージを受け取っていない子どもは、「お父さんお母さんが喜ぶことをしないと存在してはいけないのだ」と宣言されているのと同義だと筆者は考える。そうではなく、頭が良くなくても運動が出来なくても、たとえ異性にモテなくても子どもは、そして全ての人は無条件でそこにいてもいいのだし、生きているという事実だけで十分に価値のある存在なのだ。そんな本来当たり前のことを改めて言葉として与えてくれたというのが、髙部氏へのインタビューを終えての実感である。自分や周囲の子どもが全日制(普通の)学校になじめない時、時には学校に行きたくなくて「死にたい」とすら打ち明けられた場合、どうしていいか途方に暮れる人がほとんどだろう。そんな時は「みんなの学校」というフリースクールの存在を(そして僭越ながらこの記事を)思い出してほしい。別に全日制の学校に行けないからといって人生が終わるわけではない。また、そんなことで終わってくれるほど人生は優しいものでもない。筆者自身が小中とひどいイジメを受け、高校は1カ月で退学して通信制高校に通ってこれまで何度も自殺未遂を繰り返してきたが、現在はこうしてライターとして仕事をし、社会に向けた情報発信をすることができているのだから。もしもあなたが現地に赴いたなら、こんな居場所が自分が子どもの頃にあったならと、筆者が羨望すら覚えるほどの温かい空間が迎えてくれるだろう。そんな誰にとっても幸せな人生の一助となるであろうみんなの教室の門は、全ての悩める子どもと大人たちにいつでも開かれている。みんなの教室関連情報のご紹介こども食堂など、各種イベントがみんなの教室では行われています。気になる方は、公式SNSをご覧になって、ぜひ参加してみてください!公式インスタグラムアカウントhttps://www.instagram.com/minnanokyoushitu/