介護・福祉業界で働いている方なら、近所にあってお互いに存在は知っているのに接点を持てないでいる、そんな事業所がないだろうか。今回取材に行ったのはまさにそんな場所だ。弊社(訪問介護事業所tetote)の事務所があるビルの真向かい、徒歩2分もあれば到着するご近所でNPO法人「道しるべ」は長年B型作業所を運営している。長年といっても並大抵のものではない。なんともう20年以上も営業しているのだ。そんな歴史深い「道しるべ」の詳細について、代表の矢守和枝氏がお忙しい中快く取材に応じてくださった。 まず、設立に至った経緯だが、そもそも20年前にA型事業所だとかB型事業所などという名称は存在しなかった。現行の障害者総合支援法が施行される遥か前の時代であり、当時はB型事業所のことを「地域支援センターⅢ型」(以下「センター」)と呼称していた。聞いたことがある読者も多いであろういわゆる「作業所」が、障害者の働く福祉的就労の場の総称だったのだ。 矢守氏は元々別のセンターでボランティアとして関わっていたのだが、ある事情があってそこのスタッフが何人か同時に辞める事態が起きた。それを契機に、「育成会」という知的障害者の支援組織の人々と一緒に、別府でセンターを立ち上げ、それが今の「道しるべ」の始まりとなったわけだ。 しかし、当時は物・人を含むあらゆる社会資源が全くないといった状態からのスタートであった。そのため、最初の拠点は一軒家でスタッフそして「育成会」に参加していた当事者の親たちと試行錯誤をしながら、少しずつ発展を遂げていくことになる。 初めは、ビーズを使ったブレスレット作りなどをしていた(今でも販売している)。ただ、それだけではどうしても経営が成り立たず利用者に工賃が支払えないため、奮起してサンヨーコーヒーからドレッシングのシール貼りなどの作業を受注するところまでこぎつけた。 だが、その仕事をするには湯布院まで通う必要があり、仕事をもらえたのは真冬ということもあって「道しるべ」のスタッフ・利用者双方に大きな負担となってしまった。そうした状況の中、矢守氏一同がサンヨーコーヒー本社を訪ねなんとか別府で仕事をさせてもらえないかと陳情したところ、先方はすぐに許可してくれたそうだ。 その後、大分市で開かれたNPO法人が集まるイベントでサンヨーコーヒーの会長と懇意になり、遂には「道しるべ」の事業所に会長自ら足を運んでくれるなど、両社は長く続く良好な関係を築くに至った。他にも自民党議員の岩屋毅氏も「道しるべ」に足しげく通って利用者と交流しているという。結果、これらの繋がりから新たな仕事を獲得し、今では10社以上の企業案件を受注しているのだ。 このように、「道しるべ」は一般的な経営論における攻撃的な営業戦略をとるのではなく、あくまで人と人の繋がりを大切にし絆を育むことで、それが最終的には仕事へと結びついていく可能性を示唆してくれる。 さて、ここまで「道しるべ」の成り立ちについてみてきたが、ここからは矢守氏が、また職員たちがどのように利用者(障害当事者)と向き合っているかについて語っていこう。 まず、20年という長いキャリアの中で印象に残っている利用者とのエピソードはあるか筆者が尋ねると、矢守氏はこんなことを教えてくれた。それは20歳ごろに通所を始めた方で、頑なに口を閉ざし一言も発することはなかったという。そんな状態が10年(!)続いた。しかし、ある時期からポツリポツリと本人の言葉を聞くことができるようになったという。これを読んで「何か特別なテクニック(療法)を使ったのでは?」といぶかる読者もいるかもしれない。だが、実際のところは至極当たり前の、それでいて大切なかかわりを長年根気強く続けた結果であった。 本人に「職場ではちゃんと挨拶をしよう」と声かけたり、仕事が終わってしまって手持ち無沙汰になっていたら「言えるようであれば、自分から次何をしたらいいか他の人に訊いてみよう」と後押しする。そんな地道なかかわりを10年続け、ついに本人から自発的な発言を引き出せたのだ(ちなみに家では一言も喋らないらしく、家族にこのことを伝えると非常に驚かれたのだとか)。 また、B型事業所では当然利用者(特に精神障害者)の調子が悪くなることも多いわけだが、そんな時は本人を外に連れ出し、一緒に散歩しながら雑談を交わすという。この「体調」というのは非常に難しい問題で、各事業所で様々な工夫をしているが、筆者の知る限り横になれるスペースを設けたり、相談室で話を聴くというパターンが多いのではないだろうか。「道しるべ」ではそこから更に一歩踏み込んで、本人がプレッシャーを感じている職場から一旦離れて、運動(散歩)しながら心のモヤモヤを吐き出してもらうことで、また仕事が出来るように見守るという当事者目線の支援をしているのだ。 なぜこのような長い目でみた地道な支援が出来るのだろか。その答えは「道しるべ」の理念に表れている。紹介しよう。「ゆっくりでいい ぼつぼつでいい みんなで助け合い 夢と希望をもって」 この言葉に含まれている意味について矢守氏に尋ねると、「立ち上げの時は本当に大変で、そんな中でもみんなと助け合ってなんとか乗り切った。その気持ちを忘れないように」とのことだった。これを踏まえてもう一度上記に抜粋した理念を読んでほしい。心に深く染み入ってはこないだろうか。 理念のことに触れたので「道しるべ」の名前の由来についても述べよう。これには矢守氏の教育観が強く表れている。例えばスーパーなどで、明らかに何らかの障害があると思われる人がいて、思わず妙な視線を向けたこと、または向けている人を見たことはないだろうか。これは矢守氏によると「子どもの頃に障害者と関わってこなかったから」ということである。確かに幼少期、日常的に自分の周囲に障害のある人がいて、実際に接したことがあるのなら、彼ら・彼女らが社会的に危険な存在だとか見下すべき人々だ、などという偏見を持ったまま大人になることは決してないはずだ。しかし実のところ、私たちの社会は子どもたちを早期に隔離・遮断し、障害者と健常者の教育現場やコミュニティを分断してしまっている。 そうした現状を変えるため、「道しるべ」では利用者に積極的に小学校などに行ってもらい、生徒たちとビーズを使ったアクセサリー作りなどのグループワークを実施している。その結果は確実に表れており、障害者も自分たちと違うところのない同じ人間なのだと(ここが重要なのだが)『経験』として理解した生徒たちが「道しるべ」を訪ねてくることもあるのだとか。このような草の根的な社会啓発活動が実を結んでいることは、障害当事者である筆者にとっても真に喜ばしいことである。 最後に、「道しるべ」の将来的な展望について矢守氏に訊いてみた。すると意外な答えが返ってきた。「これ以上規模を大きくしたら利用者とかかわれなくなるから、今の状態を維持したい」 読者の方も(そして筆者も)身に覚えがあるかもしれないが、福祉業界というのは案外ブームや社会の時流に引っ張られがちである。例えば今なら放課後等デイサービスの会社・事業所が乱立しているように、とにかくビジネスモデルを成立させるため、法人経営を大規模化・多角化しようとする傾向が福祉業界全体に蔓延してはいないだろうか。 そんな時代にあって、矢守氏はあくまで「利用者と直接かかわれなくなるなら、大きくならなくていい」と、つまるところ支援者の原点から20年間一歩もずれたことはないのである。(ここで留意してもらいたいのは、矢守氏も筆者も上述したような戦略をとる法人を批判しているわけではない。実際彼女は様々な分野に進出する法人に対して「本当にすごいと思う」と語っている)「目の前の当事者を大切にし、ひたむきにかかわり続ける」文字に起こしてみれば簡単なことだし、それこそ福祉の勉強をした人であれば耳にタコができるほど使い古された言い回しだ。しかし、これを実践し長年忘れることなく原則とし続けられる支援者が一体どれだけいるだろうか? これこそが今まさに障害者への支援に携わっている人、また、これから支援者を志す人が見失ってはならない「道しるべ」なのだろう。そんな障害者福祉の出発点にして到達点を、今回の取材を通して再確認することができた。NPO法人道しるべ 関連情報